2020/01/27

2019年1月 笠井亮秀(北海道大学水産科学研究院 教授)

 私は神戸生まれ、香川育ちです。どちらも温暖な瀬戸内海沿岸です。香川の実家の近くの備讃瀬戸には、私が子供の頃は、まだ塩田の跡地がありました。当時、予讃線の列車に乗って外を眺めると、遠くに広々と浅瀬が見え隠れしていたことを覚えています。

 かつて瀬戸内海で広く普及していた塩田は、入浜式塩田(いりはましきえんでん)と呼ばれるものでした。入浜式塩田では、遠浅の浅瀬を利用します。浅瀬を区画ごとに堤防で区切り、その内側には砂地が広がっています。その砂地に上げ潮時に海水を引き込み、干潮時に水を蒸発させる、という作業を繰り返して、濃厚な塩水を作ります。自然をうまく利用した塩作りと言えますが、遠浅の浅瀬が広がっていること、潮差が大きいこと、そして温暖で天気が良いこと、という条件が必要です。かつての瀬戸内海は、これらの条件を満たす最適な場所だったので、入浜式塩田を利用した塩作りが盛んに行われていました。

 香川県は、養殖発祥の地でもあります。1928年(昭和3年)に野網和三郎という漁師が香川県東部の引田町(現在の東かがわ市)でハマチ養殖に成功したことが、日本の養殖の始まりと言われています。穏やかな内湾を利用したハマチ養殖は今でも盛んに行われていて、私は帰省するたびに脂の乗ったハマチの刺し身を食べるのを楽しみにしています。

 しかし、私が香川で過ごした昭和40~50年代は、まさしく高度経済成長期。世の中がどんどん変わっていく時代でした。塩田や浅瀬は次々と埋め立てられ、陸地に変わっていきました。番の州という大きな浅瀬が埋め立てられ、沙弥島(しゃみじま)や瀬居島(せいじま)といった離れ小島が陸続きになりました。いわゆる太平洋ベルト地帯に位置していたものですから、埋立地には工場が立ち並んでいきます。景気は良くなったのでしょうが、ご想像どおり、富栄養化に伴う環境問題が多発するようになりました。広範囲で赤潮が発生し、養殖ハマチに大きな被害が出たと、毎年のように報じられていました。小学生だった私は、理科の時間に、水の中に目に見えないくらい小さな植物プランクトンという綺麗な植物がいることを学び、また一方で社会科の時間に、赤潮とは実は植物プランクトンなんだと教えられ、その落差に大きな衝撃を受けました。そして子供ながらに、これは一体どういう仕組なんだろう?なんとかせないかんのちゃうん!?と思っていたことが、現在の仕事にまでつながっています。

 それから40年を経て、現在の瀬戸内海では、逆に、貧栄養化が問題視されるようになりました。栄養塩を減らしすぎたせいで、ノリの生育などに影響が出ています。陸からの栄養塩負荷を減らせば問題は解決すると思って対策をとってきたのですが、そう簡単な話ではなかったということでしょう。貧栄養なのに、赤潮がまったく発生しなくなったわけでもありません。有害な赤潮がいつどこで発生するかまだ予測はできず、人間の力はやはり自然には敵わないと思い知らされます。自然を人間にとって都合の良いように抑え込むのではなく、自然と寄り添って抗わないような生き方が求められているような気がします。